和ろうそく
江戸時代から続く手づくりの和ろうそく。「生掛 (きがけ)和ろうそく」といわれ、原料は全て天然の植物性です。ろうはハゼの実をしぼった汁から作られる木ろう、芯は和紙、い草 (灯芯)、そして真綿からなっています。
(生掛 (きがけ)とは、『混じりけのないものからできた』という意味、掛けるとは、『幾度も幾度も塗る (塗りつける)、重ねる』の意味で、転じて和蝋燭の用語としては、『和蝋燭を作る』という意味でも用いられます。)
古川町の「三嶋和ろうそく店」では、和ろうそく作りの全工程を手作業で行っています。工程の全てが手づくりというところは、全国でもここだけといわれています。
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飛騨春慶
飛騨春慶は、天然の木目の美しさをそのまま活かした透明感のある塗りが特徴です。一つの器は、通常木地づくりを行う木地師と透漆 (すきうるし)を塗る塗り師に分業され、それぞれ職人の熟練した手によって完成されていきます。飛騨春慶の良品は時間がたつほど光沢のある琥珀色になり、味わいが生まれます。
およそ400年前に、飛騨の領主金森長近に仕えていた成田三右衛門が禽籠 (鳥かご)に淡黄色の透漆を塗り、若君重近 (後の金森宗和)に献じたのが発端といわれています。翌年に木匠の高橋喜左衛門が椹 (サワラ)材のへぎ目 (削った面)にあらわれた木肌文様の美しさを活かして作った盆を、成田三右衛門が禽籠で用いたものと同じ透漆で塗り上げ、重近に献上しました。重近はたいそう喜び、初春の慶び、又、色調が茶器の名品で加藤景正の飛春慶 (ひしゅんけい)に似ているところから、春慶塗と名付けられたと伝えられています。
その後、茶人である重近 (宗和)が、優雅で繊細な飛騨春慶の色調は「わび、さびの世界とも通ずる」として、膳や盆などの生活用品をいろいろつくらせ、飛騨春慶は大きく発展しました。
飛騨市神岡町は、春慶の挽物* (丸物)の発祥の地です。大正14年、高山から塗り師の池田繁蔵を招き、神岡の船津木工で作った木地に春慶を塗るという試みから始まりました。
*挽物: ろくろを使って木を丸く加工して作る製品
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山中和紙
約800年の歴史を誇る山中 (さんちゅう)和紙は楮の雪ざらしという独特の手法が特徴で、現在でも全て手作業で和紙作りが行われています。冬に雪の上で楮 (こうぞ)をさらし、自然漂白するこの手法は全国でも非常に珍しいものです。山中和紙の名は、飛騨紙の産地の中で、一番山の中で生産されていたことからついたといわれています。
飛騨の製紙は、中世鎌倉時代初期、建仁2年 (1202)頃から盛んになり始めました。室町時代、応永12 年 (1405)頃には、 宮中で揚弓や碁の勝負に勝ったものの賞品として、飛騨紙を一枚ずつ与えたと伝えられています。天正14年 (1586)に飛騨高山の領主となった金森長近は製紙を奨励しました。享保 12年 (1727)の資料では、角川・稲越などで高級紙を漉いていたといいます。幕末から明治にかけて、飛騨には 24ヵ村の紙漉き村がありましたが、現在は唯一河合町内の2軒のみとなりました。
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切り絵
切り絵は、黒い紙に鉛筆で下書きし、その線をカッターナイフで切りとって作っていく紙のアートです。古川町で生まれ育った切り絵師の菅沼氏は古川町内の風景をモチーフにした「古川百景」の制作を中心に、郷土に根付いた文化と自然を切り絵で表現しています。
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一位一刀彫
一位 (イチイ)の語源はその昔、天皇即位の際、飛騨水無神社から一位製の笏を献上したところ、他材でつくられたものよりも美しく質が高かったので「正一位」という最高の位が与えられたからと伝えられています。現在でも天皇即位、伊勢神宮の式典遷宮の際に 用いられている銘木です。一位を彫りこんで創るのが一位一刀彫で、飛騨地方の伝統工芸品です。飛騨市では古川町のまつり会館で実演を見ることができます。
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飛騨絵馬
絵馬は、馬の頭を家の中に向けるようにして玄関に飾れば幸運を招くという縁起物です。飛騨市では古川町在住の山口氏が手書きで絵馬を描いており、まつり会館にて実演も行っています。
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